徒然日記
~*彩の軌跡*~管理人による日記・戯言etc・・・
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復活日記書きましたら、なんとメールフォームに早速ご連絡くださった方が何人かいらっしゃって・・・
感激です~(≧▽≦)
なんて幸せものなんでしょう!!!!
個人的にメールでお返ししましたので、こちらではお名前伏せておきますね。
本当にありがとうございました!!!
で、単純な私は一気にやる気がでて
例のサイト様でお絵かきしてきました(笑)
久しぶりのご挨拶を一時保存でしたくなくて、一気に描きあげたのですが・・・・・
ペンタブでのお絵かきは1年以上してなかったので、(ペンタブじゃなくてもお絵かきしてなかったけど。。。)
手は動かないしどう描いていたかも思い出せないしで
お見苦しいイラストになってしまったような・・・;;
それにしても右腕疲れた(笑)
サイトさまの方には書きませんでしたが、復活イラスト『Precious・・・』はよろしかったらお持ち帰りください。
こちらの日記まで見てくれた方へのお礼ということで。
いろいろリクエストをためたまま放置してしまったので、ちょっとずつ消化していきます。
サイト放置のお詫びと復活記念を兼ねてTOP絵何か描きたいなあ・・・・・
何のイラストがいいですかねえ?
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約一年、不在にして申し訳ありません。
ご心配をおかけしたようで、たくさんメールをいただいていました。
最後の日記があれだったから余計に・・・
日記更新しても気づかれるか不安なくらいの時が経ってしまいました。
休止状態の真相は、私の精神面とかまったく関係なく、物理的な理由です。
実は、昨年の5月にPCのメモリが足りなくなって動作不良おこしてしまいまして・・・(泣)
増設しようとしてメモリを買ったものの、間違えたのを買ってしまい・・・
画像認識しないだけでなんとか動くからといって放置したら
セキュリティーソフトは更新できないしcookieは保存できないしデータはどんどん消えていくしで
ついにご臨終・・・・・・・・
という1年でした。
しばらくケータイのみで過ごしていました。
いただいたメールは一年越しに拝見したという感じです。
申し訳ありません・・・・・!!!!
今更返信するにも申し訳ないですし数が多くてとてもお返ししきれないので、
この日記にてお詫びさせていただきます。
が!!!ついにこの度NEWパソコンを購入したので舞い戻ってまいりました!!
さよなら春ボー・・・こんにちは山ピー♪(キムタクと迷ったが・・)
BBS,変な画像がたくさんですみません。
消去しようとしましたが登録したメアドとパスワードがわからなくなってしまったので一時リンクをはずしました。
今後サイトはどうしようか考えていましたが、私の尊敬する方々がまだまだ続けていらっしゃるようですので
私も細々と続けていこうかと思います。
当面はいろいろ設定しなおしたりで何もできないと思いますが、
こんな状態、こんな私でよろしければまた仲良くしていただければ幸いです。
大変ご無沙汰いたしました。
パソ子は・・・・まだ容量が足りません(笑)
色々消去しなければ・・・・
更新停滞の理由はいくつかありました。
実は先月、大好きな叔父が亡くなりました。
30年間、病気とたたかい続けた母の弟です。
本当に、娘のように可愛がってもらっていました。
最後にあったのはお正月。
生死の境を何度もさまよって、奇跡的に何度も回復した人なので、
ここ数年、入退院を繰り返しても、逝ってしまうなんて夢にも思わなくて、
お正月は、私も風邪を引いてしまったため10分くらいお見舞いにいっただけでした。
それが最後。
4月の、ある週末に容態が急変したとき、まだ回復の可能性があったとのことで、
両親は私に知らせませんでした。
まだ元気になるかもしれないのに、私がショックを受けさせないようにとのことです。
そして、週明け火曜に急変し、そのまま亡くなりました。
GWに私が帰省するのを楽しみにしていたそうです。
私は、たくさんの人たちの優しさに包まれていたのだと、実感しました。
最期をみとれなかったのは本当につらくて、叔父が苦しんでいた週末に
私は何も知らずにライブにいっていたのです。
何で知らせてくれなかったのかといえば、家族や祖父母・もう1人の叔父が私のことをよくわかっていてくれているからです。
3年ほどまえ、その叔父が脳梗塞で倒れたとき、私は冷静でいられませんでした。
元気になったあと、実家を離れていた私が知らなかっただけで、危険だったことは何度もあったそうです。
それをいつも、長期休みに帰省したときに聞かされていました。
「実はまた入院してるんだよ。」って。
そのたびに「そういうことは教えてよ!」と言っていましたが、だめでした。
ショックを受けて、動揺した状態で帰らせたくなかったそうです。
事故に遭ったら困るといわれました。
私は感情移入をしすぎるのだそうです。
何かあったとき、すぐに教えてもらえる程、強くなれなかったのは私です。
亡くなったことを仕事後知ってからお通夜まで丸1日あきましたので、
すぐに駆けつけずにお通夜当日のお昼まで仕事をしていました。
私のわがままで、午後の納棺に間に合う限りのぎりぎりで帰宅しました。
その間の仕事は、笑顔でいられました。
仕事に行くと決めたからには、暗い顔はぜったいしない。いつもどおり笑顔でいると決めていました。
でも、実行できるか不安でした。
それなのに、実際は全然無理せずに、自然と笑えていたのです。
それは、私が強いからでななくて、会社の方々が本当に大好きだからなんだと思いました。
私の仕事は個人ごとに分単位で役割が決まっていて、1人が休むと他の人の負担は大変なことになります。
でも、「困ったときはお互い様」といって、嫌な顔一つせず、
それどころか「仕事のことは忘れな」と言ってお通夜・告別式の両方に参加させてくださいました。
安心して、任せられる人たちです。優しくて、暖かい人たちです。
家にいくと、また暖かく迎えてもらいました。
ギリギリまで仕事をして、葬儀の準備を何一つ手伝わなかった私なのに。
感謝以外の言葉が見つかりません。
なのに、私に早く伝えなかったことを何度も謝ってくれるのです。
謝るのは、私。何度言っても足りない。
きっと大丈夫って、いなくなっちゃうわけないって、容態をあまり聞いてなかった。
私が渡したパワーストーンを大事に大事にしてくれてるって、聞いてたのに。
私が会いに行くの楽しみにしてくれてたのに。
ずっとずっと、たくさんいろいろしてもらったのに、何も返せなかった。
今、私は元気です。
ただ、どうしてもこの日記を書く気になれなくて、
でもこの日記を書かないのにHPを更新する気にもなれなくて、
お絵かきはしていたのですが、この日記を書くまでに
こんなに時間が経ってしまいました。
四十九日を控え、その前に気持ちに整理を付けようと思って、
ついにこの日記を書きました。
キーボードを打ちながらいつの間にか涙が出てきて、結局号泣している私は
まだまだ気持ちが整理できていなかったのだと気づきました(笑)
長い日記で申し訳ありません。
もう、私は大丈夫です。
またちょっとずつ更新していきますので、お付き合いいただける方は
あしを運んでいただけると嬉しいです。
とも
パソ子は・・・・まだ容量が足りません(笑)
色々消去しなければ・・・・
更新停滞の理由はいくつかありました。
実は先月、大好きな叔父が亡くなりました。
30年間、病気とたたかい続けた母の弟です。
本当に、娘のように可愛がってもらっていました。
最後にあったのはお正月。
生死の境を何度もさまよって、奇跡的に何度も回復した人なので、
ここ数年、入退院を繰り返しても、逝ってしまうなんて夢にも思わなくて、
お正月は、私も風邪を引いてしまったため10分くらいお見舞いにいっただけでした。
それが最後。
4月の、ある週末に容態が急変したとき、まだ回復の可能性があったとのことで、
両親は私に知らせませんでした。
まだ元気になるかもしれないのに、私がショックを受けさせないようにとのことです。
そして、週明け火曜に急変し、そのまま亡くなりました。
GWに私が帰省するのを楽しみにしていたそうです。
私は、たくさんの人たちの優しさに包まれていたのだと、実感しました。
最期をみとれなかったのは本当につらくて、叔父が苦しんでいた週末に
私は何も知らずにライブにいっていたのです。
何で知らせてくれなかったのかといえば、家族や祖父母・もう1人の叔父が私のことをよくわかっていてくれているからです。
3年ほどまえ、その叔父が脳梗塞で倒れたとき、私は冷静でいられませんでした。
元気になったあと、実家を離れていた私が知らなかっただけで、危険だったことは何度もあったそうです。
それをいつも、長期休みに帰省したときに聞かされていました。
「実はまた入院してるんだよ。」って。
そのたびに「そういうことは教えてよ!」と言っていましたが、だめでした。
ショックを受けて、動揺した状態で帰らせたくなかったそうです。
事故に遭ったら困るといわれました。
私は感情移入をしすぎるのだそうです。
何かあったとき、すぐに教えてもらえる程、強くなれなかったのは私です。
亡くなったことを仕事後知ってからお通夜まで丸1日あきましたので、
すぐに駆けつけずにお通夜当日のお昼まで仕事をしていました。
私のわがままで、午後の納棺に間に合う限りのぎりぎりで帰宅しました。
その間の仕事は、笑顔でいられました。
仕事に行くと決めたからには、暗い顔はぜったいしない。いつもどおり笑顔でいると決めていました。
でも、実行できるか不安でした。
それなのに、実際は全然無理せずに、自然と笑えていたのです。
それは、私が強いからでななくて、会社の方々が本当に大好きだからなんだと思いました。
私の仕事は個人ごとに分単位で役割が決まっていて、1人が休むと他の人の負担は大変なことになります。
でも、「困ったときはお互い様」といって、嫌な顔一つせず、
それどころか「仕事のことは忘れな」と言ってお通夜・告別式の両方に参加させてくださいました。
安心して、任せられる人たちです。優しくて、暖かい人たちです。
家にいくと、また暖かく迎えてもらいました。
ギリギリまで仕事をして、葬儀の準備を何一つ手伝わなかった私なのに。
感謝以外の言葉が見つかりません。
なのに、私に早く伝えなかったことを何度も謝ってくれるのです。
謝るのは、私。何度言っても足りない。
きっと大丈夫って、いなくなっちゃうわけないって、容態をあまり聞いてなかった。
私が渡したパワーストーンを大事に大事にしてくれてるって、聞いてたのに。
私が会いに行くの楽しみにしてくれてたのに。
ずっとずっと、たくさんいろいろしてもらったのに、何も返せなかった。
今、私は元気です。
ただ、どうしてもこの日記を書く気になれなくて、
でもこの日記を書かないのにHPを更新する気にもなれなくて、
お絵かきはしていたのですが、この日記を書くまでに
こんなに時間が経ってしまいました。
四十九日を控え、その前に気持ちに整理を付けようと思って、
ついにこの日記を書きました。
キーボードを打ちながらいつの間にか涙が出てきて、結局号泣している私は
まだまだ気持ちが整理できていなかったのだと気づきました(笑)
長い日記で申し訳ありません。
もう、私は大丈夫です。
またちょっとずつ更新していきますので、お付き合いいただける方は
あしを運んでいただけると嬉しいです。
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